| Happy? WhiteDay 厳しかった寒さも和らぎ、そこかしこに春の気配が感じ取れるようになってきた。 今日は日差しも手伝って、夕方だというのに風が暖かい。 「今日コート失敗したな」 悠が少々悔しそうにしながら恥ずかしげに呟いた。 「朝寒かったから着てきちゃったんだよなぁ」 その呟きをちゃんと聞いていた孝宏はうんうんと頷いて見せる。 「わかるよ、今朝ほんとに寒かったから」 かくいう孝宏はもう3月だからと母に止められ、マフラーだけで登校してきたのだが。 「でも俺恥ずかしくない?」 「大丈夫だよ、たぶん」 自信はないけれども。 「たぶんってー」 声がツッコミの色をはらんでいる。 「大丈夫大丈夫、まだ3月初めなんだから。それにこれから冷えるかもしれないし」 「本当にそう思ってる?」 訝しげな悠。そして風は優しく穏やかに二人の頬をなでていく。 「…冷え…ない、かな」 「だろ?」 「でも大丈夫だよ、もう帰るだけだし、朝電車の中まだ着てる人いたし」 悠の気持ちはわからないでもない。自分だけ季節外れな格好をしていると思うのは確かに恥ずかしい。 何とか宥めようとする孝宏の気持ちを汲んでか、悠はさらりと空気を変え 「そうだよな。あと帰るだけだもんな」 吹っ切った笑顔になった。 「藤原、ちょっと本屋寄ってっていい?」 「うん、いいよ」 孝宏もほっとして悠の隣に並ぶ。 本屋に入ると、孝宏は雑誌のところで待っていると告げ、見たい漫画雑誌の場所へ向かった。その途中のあまり縁のない雑誌にも何気なく目をやる。 女の子のモデルが表紙を飾る雑誌や、バイクが表紙のもの、それらで多く見る言葉はやはりホワイトデーだった。 ホワイトデーか…。あげた女の子は楽しみにしてるんだろうなぁ。 何倍返しとかブランド物とか。自分が大人になったらそういう風に女の子に振り回されることになるのだろうか。考えるだけで体が震える。 孝宏は何の言葉も意味も伝えないまま、気持ちを隠してあげただけだから当然返ってくるものは何もない。期待もしていないし、それが当たり前だと思っている。 ただ、気持ちを伝えてあげた子は今どんな気持ちで待っているのだろう。ふとそんなことを思いついて、足が止まった。 真剣に気持ちを伝えて、もらった方は一ヶ月も返事をしないでいられるのだろうか。伝えた方は一ヶ月も返事を待てるのだろうか。 自分ならきっと無理だ。断るなら即断って欲しい!OKなら尚のこと。 「僕には関係ないなあ」 「何が関係ないの?」 「えっ!」 ぎょっとして声のした方を見る。本屋の袋を手に悠が立っている。 「お待たせ。買ってきた」 「は、早かったね!」 「買うの決まってたからね。藤原が何かしゃべってたの、俺に気付いたからかと思ってた」 「ううんっ、独り言っ」 「ふーん?」 納得がいったのか取るに足らないと思ったのか少し首を傾げて、悠は孝宏の近くの雑誌を手に取った。 「おーこのバイクかっこいいー」 「かっこいいね」 「これ見てた?」 「うん、この辺の…」 嘘だけど。 「関係ないのってこれのこと?」 「そう。つい言っちゃった」 …と、いうことにしておこう。 「そっか」 悠は満足したような笑みを浮かべると雑誌を置いて 「じゃあ帰ろうか」 「うん」 そのとき孝宏は、悠の意外な探究心に驚きながら彼の背中を見ていた。 こんなに深く追及されるのは初めてだった。 ホワイトデーの朝、支度を終えた孝宏はキッチンにいる母に声をかけた。 「お母さん、お返しここに置いとくね」 水の音に消されないよう若干大きめに言いながら、テーブルの上に昨日コンビニで買ったホワイトデーの菓子を置いた。 「あらあらあら」 にまにまと口に手を当ててキッチンから出てくる。 「じゃ、じゃあ行ってきます」 照れくさくなってそそくさと玄関へ駆けていくと、母もスリッパの音を立てながら追ってくる。 「まだ時間余裕あるでしょう」 それはわかっていたのだが、こういうのはいつも恥ずかしい。 「いいの、たまには早く行くんだからっ」 「ふふ、ありがと、嬉しいわ」 「大した物じゃないよ、わかってると思うけど」 「何が一番大事って孝宏がお返しをくれようとする気持ちに決まってるじゃない」 「ふ、ふーん、じゃあ行ってきます!」 「行ってらっしゃーい、気をつけるのよー」 家を飛び出し、少し離れたところで歩みを緩める。 「はー…」 知らず知らずの内に息をついて制服の襟を正した。 母に買ったお返しは、小さなクマのマスコットがついたキャンディだ。昨日悠と一緒にコンビニで買った。 母はそういう可愛らしい物が好きで、自分でもよく買ってきてはそこかしこに飾っている。 四十路を越えていながら未だに…と思うときもあるが、雰囲気が若く、似合っていないこともないので孝宏は特に何も言わない。父も何も言わない。 今頃そのクマを鍵にでもつけていることだろう。この前キーホルダーが壊れてしまったと言っていたから。 悠も、昨日買っていた。百円かそこらの小さな菓子だった。 それでいいの?と尋ねたら、バレンタインのチョコをほとんど食べたのは母だからいいと笑って答えた。 今頃悠も渡しているんだろうか。 悠の母は、孝宏の母と年は変わらないはずだが、落ち着いていて大人しい印象を受けた。 きっとうちのお母さんと違って、はしゃいだりしないで、崎田も僕のように恥ずかしがったりしないで、大人同士みたいな感じであげたり受け取ったりするんだろうな。 そんな想像を勝手にしていたら、いつの間にか駅に着いていた。 通い慣れた道は自然に足が動くからすごい。 電車に乗ると同い年くらいの女の子が数人笑いながら話していた。少し顔を動かすと違う子達も話し込んでいて、どことなく華やいでいるように見えた。 今日という日がそう見せるのか、単に気のせいなのか。 あの子達も誰かにお返しをもらうのだろうかと思うと、何となく微笑ましかった。 帰り道、いつものように悠と一緒に学園最寄駅まで来て階段を上っている途中、悠が突然 「藤原、今日俺の家に遊びに来ない?」 と誘ってきた。 「え、いいけど…急だね」 「うん、急に思い立って」 悠の変な言い回しに少し笑ってしまいながら 「思い立ったんだ」 「うん。都合悪い?」 「ううん、平気」 時間はまだ三時、行き慣れた場所だから母には連絡を入れれば問題ない。 悠の家はここから電車で十分ほど、そして駅から徒歩でまた十分弱。孝宏の家より近いため、学校帰りに遊ぶとなると悠の家の方が格段に多かった。 悠の家の最寄駅から歩くこと五分、道中に公園がある。広々としていて、綺麗に芝生を植えてある広場の中央には噴水もあり、子供が遊んでいたり、親子連れで日向ぼっこをしていたり、犬を散歩させていたりと、常に人がいるような公園だ。 春には公園を囲うように桜が咲き、夏にはそれらが青々と茂って、公園に入らずとも横を歩くだけで気持ちがいい。 「もうすぐここの桜咲くね」 孝宏は道路に突き出た桜の枝々を見上げながら言った。孝宏も、悠と知り合って三回ここの桜を見た。上から覆いかぶさってくるような桜色、時間が経てばそれらが一斉に降り注いできて、道路を桜色に染める、その光景がすっかり気に入っている。 「うん、後一ヶ月くらいかな」 そう答える悠も同じように見上げている。よく見ると枝にはもう蕾が出てきていて、木全体がうっすらと赤らんでいた。 「その頃にはもう二年生なんだね」 「そうだな」 「桜が咲いた頃また来たいな」 微笑みながら何気なく言ったつもりだった孝宏がふと悠を見ると、悠は僅かに口元で笑んでいるだけだった。目が合い、孝宏にどうしたのか聞かれてやっと 「うん、来なよ」 目を細めていつもの笑顔を見せた。 僕、変なこと言ってないよね? 心配になって、もう一度どうしたのか尋ねたけれど、返ってきたのは何でもないの一言だけだった。もちろん顔はいつもの悠だった。 家に着いて悠が鍵を開けて中に入った。 「あれ、いないや」 目線を玄関に呟く。そうして後ろにいた孝宏に振り返ると 「母さんいないみたいだ。上がって」 先に靴を脱いで奥に入っていった。 「お邪魔します」 悠しかいなくても一応言う。脱いだ靴の向きを直して玄関で待っていると悠はすぐやってきた。鞄と上着を置いて身軽になっている。 「俺何か飲み物持ってくから先俺の部屋行ってて」 「うん」 「母さんいないからちゃんとしたの出せないけど」 「いいよ、気にしないで」 勝手知ったる悠の家、二階に上がって左側が悠の部屋だ。ドアを開けて中に入ると、綺麗に片付いていた。 ベッドの横にローテーブルが置いてあり、その間に座ってベッドに寄りかかるのがいつもの姿勢。こうするとちょうどテレビが正面で、ゲームをしたりテレビを見るのに都合がいい。 程なくして悠が上がってきた。開けてあったドアをくぐり、一度テーブルにペットボトルやグラスを置くと、戻ってドアを閉めた。 「コーラしかなかった」 「いいよ、充分。ありがとう」 定位置についた孝宏からは、ドアは左側にある。大体後から入ってくる悠は孝宏の左に座る。それもまた定位置だ。 悠がペットボトルを開けるとプシッと炭酸の抜ける音がする。それを二つのグラスに注いでいくのを眺めつつ孝宏は聞く。 「何して遊ぶ?」 「うーん、そうだなぁ、ゲーム?」 「うん」 「じゃあこないだの続きしよう」 という、四つんばいでテレビへ近づきながらの提案に 「そうだね」 「藤原、ちょっとうまくなってきたもんな」 悠はテレビ台の戸を開けて、中から百円均一で買ったプラスチックのかごを引っ張り出し、コントローラーを二つ取り出した。コードが絡まったままのそれらを孝宏に渡すとゲーム機本体の電源を入れて戻ってくる。 コードをほどいてコントローラーをちゃんと分けた孝宏は、悠がリモコンでテレビの電源を入れた後一つ手渡した。 「あれ面白いね」 「だろ?」 「うん」 孝宏はゲームの類が苦手だ。パズルやクイズならともかく、アクションやシューティングはすぐにやられてしまうので手を出さない。 ただ、悠と二人で戦っていく分にはほとんど悠が敵を倒してくれるため、孝宏でも進んでいくことが出来る。始めたときはボタンをただただ押しているのが精一杯だった孝宏も、自分がどうすれば画面のキャラクターがどう動くのか少しずつだがわかってきた。 だから悠とやるときだけはこれらのゲームも面白い。 今やっているのは、自分が戦国武将となって戦を勝ち抜いていくゲームだ。 ゲームが始まり、いつも使っているキャラクターを選んで、ステージへ出る。途端敵が周りを囲み、孝宏は夢中でボタンを押す。その横で悠はしれっとした顔で自在に武将を動かしていく。 どうやってあんな風に動かしているのだろうと手元を見てみると、とても孝宏には真似できない細やかな動きだった。 「藤原、危ない」 慌てた悠の声で、画面に目を戻す。 「えっ?わっ!」 自分は見事に敵に囲まれていた。囲まれ過ぎていた。うわーなどとわめきながらボタンをただ連打してみるが敵は減ってくれない。 しかしそれはすぐもう一人の武将に助けられて事なきを得、ステージも無事クリアした。 「はー」 「どうしたの?全然動いてなかったけど」 「崎田の動きすごいからどうやってんのかなーって見てたら…」 「何だ、手見ててもわかんないでしょ」 悠は笑いながら言うと、ベッドの上に放り投げてあった鞄から何か取り出した。 「うん、よくわからなかった」 「やっぱり」 微笑んでいる悠がその何かの包装をはいでいる。何かなと思う間もなくそれは孝宏の目の前に差し出された。 「食べる?」 「あ、何これ」 青い箱に白い楕円がいくつも描いてある。 「アーモンドチョコ。ホワイトチョコの」 「へー初めて見るよ!」 「俺もコンビニで初めて見てさ、買ってみた」 中を覗くと、まるでタマゴのような形のアーモンドチョコがぎっしりつまっている。孝宏はありがたく一つ頂戴すると口に放り込んだ。すぐに甘い香りが口に広がる。 「おいしい」 普通のチョコとは違った優しいまろやかな甘み。かりっと香ばしいアーモンド。後を引く味だ。 「もう一個食べていい?」 「いいよ」 箱が孝宏の前に置かれる。 「それ、お返し」 「え?」 「俺嬉しかったんだ」 「何が?」 「バレンタインに好きな子からチョコもらえるなんて思ってなかったから」 「えっ…」 孝宏は一瞬何を言われたのかわからなかった。真意をはかろうと悠を見ても、悠は手の中のコントローラーを見つめていて、こちらを見ない。 テレビ画面を見ると、次のステージがとっくに始まっていて、二人とも敵にわらわらと囲まれている。孝宏が慌てて一時停止させる。そんなこと今はどうでもいいのに。それくらい動揺していた。 悠は大きく長く息をつくと 「藤原が俺のことそういう風に見てないって、あのチョコだってそんな気全然なかったってわかってるんだけど…あれすごい嬉しくてさ。何か…もうすぐ一年終わって、クラスも離れるって思ったら…言いたくなって」 少し切なそうに告げた。それから孝宏が言葉を出す間もなく 「ずっと友達でいたいとも思ったんだけど結構もう最近限界で…。藤原のこと何でも知りたいって思っちゃうし」 そこで初めて悠は孝宏を見た。目が合う。少しだけ悠の目元が赤くなってるのがわかって、じわっと熱いものが孝宏の胸にこみ上げてきた。 「あのチョコっ、あれっ、意味あるよ!」 片言な自分が情けない。たどたどしい言葉しか出てこない。 「え?」 「僕は、僕も、あげたくて、崎田にあげたくて買ったんだ。崎田に内緒で、バレンタインあげたくてっ」 胸がつまって苦しい。これは現実なんだろうか。悠が自分を好きだと、本当にそう言ったのだろうか。 「本当に?」 悠の目が丸く見開かれている。信じられない、と目が言っている。 「ほ、本当に」 しばらくお互いを凝視していた。見つめ合っていた、なんてロマンチックなものじゃない。この世の不思議でも見るかのように凝視し合っていた。 孝宏の耳には自分の鼓動とゲームのBGMだけが聞こえてきていて、このゲームの音だけは一生忘れないだろうと思った。 先に口を開いたのは悠だった。 「藤原は…俺のこと好きなの?」 うん。 「うん、好き…だよ」 息も絶え絶えにそう絞り出すと、悠はぱぁっと顔を明るくして、幸せそうな笑顔を見せた。 「嘘みたいだ」 それは僕の台詞です。 「絶対ダメだと思ってたのに」 ダメじゃないです。 「ありがとう」 それも僕の台詞です。うわーー。 悠がグラスを手に取って、コーラを飲み干す。 「俺すごく喉渇いてた」 そう言えば自分もだ、と孝宏もグラスを取る。グラスを両手で包む格好でテーブルの上に置かれた白いアーモンドチョコを見つめる。 何かまだ信じられない。だって、だって崎田と両思いだぞ…? 「よかった、明日もまた藤原と帰れる」 悠はほうっと息を吐いた。顔に安堵の色が浮かんでいる。悠はきっと孝宏が思っているよりずっと勇気を振り絞ってくれたのだろう。自分なんかに。 「ありがとう崎田。嬉しかった」 まだまともに顔が見られずに、アーモンドチョコに向かって言う形になってしまったが、 「俺も嬉しかった」 悠には伝わってくれただろう。きっと。 驚きが落ち着いてくるとそれに変わってだんだん胸の鼓動が激しくなってきた。顔も熱くなってきた気がする。 孝宏はすくっと立ち上がると 「僕帰るね」 「えっ?」 びっくりして悠も立ち上がる。悠にしてみたらこれからだ、という感じに違いないのに。 「ごめん、帰ってちょっと、落ち着きたい」 鞄を引っ掴んで、部屋を出ようとする手首を捕まれた。 「藤原」 目線を合わせた悠が甘さを織り交ぜて微笑む。 「…後でメールする」 「う、うん」 うわー、手っ、手ぇぇーーっ。 何とか手を離してもらって悠の家を飛び出した。景色の何もかもが今までと違って見えて、足元はおぼつかないし、自分がちゃんと歩けているのかもわからないくらいふわふわしてしまっている。 駅に向かって早足で歩いていると携帯が鳴った。悠からのメールだ。 『チョコ、どうする?食べちゃっていいの?』 「だっ、だめだよ!」 それは僕のだ! 結局孝宏は逃げ出してきた場所へ再び踵を返すことになってしまった。しかしそれは仕方がない。あれは大事な物だ。すぐにでも取り返してこなくては。例え悠にお帰り、と笑われてしまうことになっても。 ’09.2.18
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