Challenge Valentine's Day


「何見てるの?」
藤原孝宏はそんな言葉をかけられてはっと顔を上げた。
「あ、ううん、別に…」
としか答えられない理由が彼にはある。
崎田悠は孝宏の横にやってくると、孝宏の見ていた物に目を向けてああ、と納得した。
「バレンタインか」
場所はコンビニ、学園からの帰り道に雑誌でも見ようと二人で寄って、入ってすぐのシーズン物のコーナー前で孝宏が立ち止まった。悠はてっきり後ろから孝宏がついてきているものだと思い込んで、雑誌を手に話しかけようとしてあやうく恥をかきかけたところでいないことに気付き、戻ってきた。
「色んなのがあるなー」
悠が屈んで棚の上から下まで覗き込む。
「そうだね、皆凝ってる」
孝宏も話を合わせながら、自身の胸で高鳴っているものを必死で隠す。
「気持ちはわかるけど、男がここで一生懸命見てたら笑われるよ」
おかしそうに言われて孝宏も
「だよね」
雑誌コーナーへ歩く悠に今度こそついていった。

孝宏が悠とつるむようになってもうすぐ三年が経つ。
中等部の二年で同じクラスになり、覚えていないが何かがきっかけで口を聞き、気が合ったのだろう。自然と一緒に帰るようになって、休みの日もよく遊ぶようになっていた。
三年生で一度クラスが分かれたものの、高等部でまた同級生になった。
孝宏も悠も、クラスでは決して目立つ方ではなかったが、孝宏にとって悠のそばは居心地がよかった。それが彼の魅力なのだと知ったときには、すでに彼に恋をしていた。
もちろん本人にそんなことを言えるはずもなく、友達としての付き合いが続いている。

「藤原はバレンタイン、もらえる当てある?」
コンビニを出て、悠が明後日に迫った日のことを尋ねてくる。
「ううん、なし」
笑いながら答えると
「俺も」
同じように目を細め
「バレンタインってさぁ、何で女の子からなんだろう」
と続けた。
「何で?って?」
「男からだったら、毎年こんな風にもらえるかもらえないかそわそわしなくても済むじゃん」
「崎田、毎年そわそわしてたの?」
そんな風には見えない、と驚いて聞き返す。すると悠は少しだけ慌てて手を振った。
「俺はそんなに、期待してないよ。同じ教室に女子いないしさ。世の男達がって話」
「世間の話か、びっくりした。でもそうだね、教室に女子がいないっていうのは気楽かも」
「もらえるやつにとっては寂しいだろうけどなー」
そう微笑んで話す横顔をそっと盗み見る。見つかる前に視線を戻して、地面に目をやった。
バレンタインがもし男からだったら。
そうしたら自分はあげられるんだろうか。…いや、絶対無理だろう。
この関係が壊れてしまうことなんて、絶対出来ない。
最も、男からになったとしても、あげる相手は男じゃない。
「あっ」
いきなり悠が何かを思いついた。
「俺母さんからたぶんもらう。だから一個はもらうや」
そう言って、おどけた顔を崩す。孝宏もつられて笑うと
「僕もそういえば毎年もらってた」
「母さん、自分が食べたいの買ってきて俺にくれるんだよな。で、結局自分が食う。いいんだけどさ」
「あげてる意味ないね」
「何だっけ、何か高いやつ。小さいので三百円とか」
親指で輪を作って、このくらいと見せてくれる。
「そんなんでっ?」
「たっかいよなーー、それだけで普通のチョコ二つとか三つとか買えるよ」
「やっぱりおいしい?そういうのって」
孝宏はそんなテレビで見るようなブランドのチョコは食べたことがない。
「うーん…」
てっきり、うまいと返ってくるとばかり思っていたら、どうやら違うようで、腕を組んで難しい顔で考えている。
「おいしくないの?」
「おいしくなくはないけど…俺はコンビニで売ってるのが好きだな」
「高いからいいってわけじゃないんだね」
「そうみたいだな。俺は明治が一番いいなー」
明治。
あげるわけでもないのに、頭に刻み付けてもしょうがないんだけど。


次の日の放課後。
悠と別れてから、孝宏はスーパーの菓子売り場の前にいた。
売り場にはガム、その隣に飴、そしてさらに隣にチョコゾーンがあった。
目当ては当然一つなのだが、その前に立っているのがどうしても恥ずかしくて、ガムゾーンから何気ない感じを装ってゆっくり歩きながら悩んでいた。
あげるわけない、あげられるわけはないけれども、しかし。やっぱり。
時々脚丈くらいの小さな子が駆けてくる。考え事の最中、ぶつかりそうになるのをギリギリでよけながら、うろうろと菓子売り場を徘徊してはため息をついた。
これじゃあ完全不審者だよなぁ。
勘の鋭い人が見たら、バレンタインに自作自演しようとする少年だと思われてしまうかもしれない。
そそそれは困るっ。
観念してチョコ売り場の前に立ち、目に付いたチョコを一つ取った。
これならさりげなく一つどうぞとあげてもおかしくない…だろう。
どきどきしながらレジへ向かう。手に、明治のアーモンドチョコを持って。


終業のチャイムが鳴り、ガタガタと机と椅子の鳴る音が教室に響く。
終わったーとほっとする声やどこそこへ行こうと誘う声もする。
孝宏が教科書を鞄に仕舞っていると悠が机の前に立った。
「藤原、帰ろう」
「あ、うん、ちょっと待って」
急いで鞄を閉じて立ち上がると、悠は焦らなくていいよと笑みを浮かべて眉を下げた。
こういう優しいところが好きなんだ。本人、自覚ないんだろうけど。
鞄の中には昨日買ったアーモンドチョコが忍ばせてある。ただのチョコなのに、今日だけはすごく特別な物で、変に意識してしまう。
いつものように、他愛ない話をしながら学園を出て、駅までの道を並んで歩いた。その道すがら、孝宏はチョコを出すタイミングを探っていたが、どうにも見つけられずにいた。
うーん、やっぱり難しいな…。歩いてる途中にいきなりチョコ出すって変だもんな。
「どうかした?」
「えっ?」
ぱっと横を向くと不思議そうな顔で悠がこっちを見ている。
「藤原、変な顔してる。急に黙っちゃって」
「ううん、何でもないよ!」
「そう?」
「うん、ごめん、大丈夫」
「ならいいけど」
意識しないようにと思っていると却って意識してしまうのかもしれない。胸はどきどきするし、今日チョコを出しても、自然に出せそうにない。
変な自分を悟られたくなくて、孝宏は話題を変えた。
「今日の英語の宿題、明日昼休みに一緒にやらない?結構量あったし…」
「ああ、そうしようか。助かるなー」
「僕もあれ全部訳すの嫌だから」
「やけに多いよなぁ、最近」
「きっと最後の方間に合わないんだよ、一年終わるまでに」
「あー、なるほど!とばっちりだよなぁ」
「うん」
頷きながら前を見るともう駅だ。電車は反対方向だから、ここで今日はお別れになる。
やっぱり無理だったなぁ。
内心しゅんとして、でも仕方ないと自分を納得させる。自分には出来なかった。こんなささいなことも。
階段を上がって改札を通るといつも通り悠が手を振った。
「じゃあまた明日」
「うん、またね」
孝宏が笑顔を向けると、悠はもう一度手を上げて階段を下りていった。
「はぁ…」
がっくりと肩を落とす。悠がいなくなると途端に気が抜けた。残念がる自分を見られて困る人はもういないんだからいいのだ。
通い慣れた階段を下り、ホームの決まった場所に立って、ぼんやりする。
早く電車が来ないかななどと考えていると、線路をはさんだ反対側のホームの目の前に悠が立っていた。
「崎田?」
悠は、孝宏が自分に気付いたことがわかると階段を指差して、上がれと示した。
何のことかわからないまま指示通りに階段を上がる。階段の上では悠が待っていた。
「どうしたの?」
「電車遅れてるみたいだな」
「え?」
「アナウンス、聞いてなかった?信号機の故障だって」
「あ、全然聞いてなかった」
「ぼーっとしてたもんな」
からかわれて、赤くなる。
何てことだ。離れたホームでかち合うのが嫌だから、お互い反対に下りようって決まりがあるじゃないか。見られてるなんて思わないじゃないか。
「復旧のめどが立ってないみたいだなあ。電車いつ来るんだろう」
「うん」
確かにちゃんと聞いていれば、しっかりアナウンスをしている。
「おなかすいたなー」
悠の一言に孝宏ははっと鞄を抱きかかえた。
ここだー!
「崎田、お菓子食べる?」
自然に言えただろうか、声は変になっていないだろうか。
「お菓子?持ってるの?」
悠の目が輝く。
「うん、ちょっと待って」
どきどきして手が震える。鞄からアーモンドチョコを出し、鞄を脇へはさむとビニールを外して封を開け、箱を差し出した。
「はい」
「ありがとう」
孝宏はアーモンドチョコが悠の指先につままれて取り出されるのを見守っていた。それは無事悠の口に入り、孝宏は胸にじわーっと喜びをにじませた。
わーやったー。
食べてもらえた。バレンタインという日にチョコを。好きな人に。
孝宏は一つ自分も取ると
「はい、もっと食べなよ」
また箱を悠の前に出した。
目的を達成したことで緊張が一気にほぐれたようで、急に普段通りリラックス出来てしまった。
「ありがとう。やっぱり明治だなー」
「そうだね、僕も好きだよ」
孝宏の言葉に悠が嬉しそうににこっと笑う。
「電車止まってよかった」
「それは大げさだよ!」
「そうかな」
「そうだよ」
よっぽど明治が好きなんだなぁ。孝宏は心から驚いた。

それから二人で下らないことをしゃべりながら一箱平らげた頃に電車が走り出し、今度は約束通り、お互い反対の階段を下りる。
電車を待ちながら、孝宏は空になった箱を眺めてにやにやと頬を緩ませた。
よかった、食べてもらえて。電車が止まってよかったのは僕の方だな。
「箱は捨てとくね」
「え、俺が捨てるよ、もらったんだし」
「ううん、僕が」
「そう?ありがとう」
そんなやりとりの末持ってきた箱はきちんと鞄に収めた。
すぐには捨てられない、そんな気がしてしまったのだ。



’09.2.2